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正義の反対は、もう一つの正義だった。インタビュアーが感じたWebメディアの輪郭

by Yuka Sato

自分の頭の中に今までなかった考え方に触れたり、あまり通ってこなかった道を通ってみると、新しい気づきが生まれて「はっ」とします。

「新しい気づき」とはよく言ったもので、私にとってそれは「新品のコピー用紙で指先を切った」みたいなことなんです。地味に痛い。
でも、痛みが伴うくらいでないと気づきって生まれないんじゃないかなって。

「お前は誰の味方なんだ?」

今日はそんなんことを問われた一日でした(実際に問われてはいないんだけれど)。

今まで、特にこれといって目覚ましい成果は出していないもののコツコツと「インタビューの仕事」を続けてきました。
起業家から小学生まで、インタビュイー(インタビューする相手のこと)の人生の一部である出来事や想いを聴いて、その人や事業について凝縮された記事に編集し、Webメディアに載せて世に送りだす。それが私の今のお仕事です。

成果といってもなかなか目に見えないお仕事もあって、PV(どれくらい記事が見られたか)が公表されない場合もあったり。いや教えてくれよ、とは思うんですが。笑
そんな見えづらい状況の中でまず向き合うべきは、インタビュイー。丁寧に話を引き出して、存分に伝わる記事にしたいと考えながら作ってきました。

だから私は誰の味方かと問われると、どちらかと言えば「発信者側」なのかもなと思いました。もちろん案件によって、インタビュイーはとても多様で考え方もそれぞれ違うので、味方をすると言ってもその時々で相手は違います。個人的に共感できないことも、その人や事業を表す一部だとしたら、それは適切に表現するようにしているので「記事にする=完全に味方している」では必ずしもありません。

そして、インタビューは私にとって、息をするようにずっと続けてきたことであることも確か。私の中の軸(正義)といったら今、これだろうなって。

「インタビュイーの言っていることなんてどうでもいい、ユーザーが求めている情報が全て。」

今日このブログを書くきっかけとなった言葉です。ニュアンスが少し違うかもしれないけど、ざっくりとこんな感じでした。私とは全く違う方向を向いていて、ユーザー(記事の読者)のことを、本当に大切に、一番に考えている方でした。

ユーザーのことをとことん考え、ユーザーの課題や想いに向き合っているからこそ、重みのある言葉でした。正義感の塊でした。頭が下がります。でも少しだけ "指先を切った" 感覚がしました。

と同時に「インタビューをして編集・発信する」という手法の性質上なのか、私は今までオウンドメディアなど発信者側パワーの強いメディアに携わることが多く、そこまで強烈にユーザーのことを想ってはこなかったのだなと気づきました。
ユーザーのことを全く考えてこなかったわけではないんですが、完全にユーザーファーストなメディアづくりって、私が今まで見てきたものとは全く違う景色なのかもしれないなとも思いました。

もしこの方が考える文脈上で私が「インタビュイーの想いを尊重した記事にしたい」なんて言いはじめたら、議論が始まりますよね。そもそも記事を作る目的や方向性などの前提を共有していれば、業務上そんなことは起きにくいはずですが、純粋な考え方としては相反するものです。

メディアやライティングに関わると一口に言っても「誰に向きあっているのか」「どんな役割を持っているのか」ということが、こんなにも違いとして分かりやすく感じられる体験はなかったなと。(ちなみに今回出会ったその方がやっていることは、ターゲットユーザーをかなり絞って特定の話題に特化したメディアだったので、分かりやすかったのかもしれません。)

「記事」と「広告」、そして「ユーザー」と「発信者」

あとはそもそも "オウンドメディア" や、個人のブログなども含め "メディア" を誰もがもつようになった背景もあり、「記事」と「広告」の違いが曖昧になってきているんだなということも感じました。
また、ユーザーをめちゃくちゃ意識するある程度出来上がったメディアにとって "人物インタビュー" を経ての記事づくりというのは、広告的発想の元にしか生まれないということなのかもしれません。(誰かに何かを "言ってもらう" とか "論拠"としてのインタビューという発想が強いのかもしれません。)

純粋な「記事」といってもそこにはメディアの思想が現れるわけで「ニュース」でない限り、というか 「ニュース」であったとしても、何かしらのメディア背景があります。
「記事広告」という形のものもありますし、携わったことないので詳細はわかりませんが「ネイティブアド」とかって言葉もあります。
捉えようによっては「私ってもしかして今までインタビュー記事ではなく、インタビュー広告?(のようなもの、実際にインタビュイーからお金をもらう形での記事はほぼやったことないです)を書いてきたのかな」という観点も生まれたり。考えはじめたら、なかなかキリがないテーマです。

ともかく、インタビュアーとして、ライターとして、メディアに関わる人間として、スキルをどういった方向性で使うのか、そしてその記事作成における役割の認識をしなければならないなと考えさせられました。

また、発信している情報は事実と相違ないだろうか、誰かを傷つけていないだろうかという観点も、忘れたくないなと。どのようなものを書くにしても、しっかりと認識しなければならない観点が本当はたくさんあって、今までの自分のやり方について少し反省もしました。

結局それって、何を媒介するメディアなんだっけ?

メディアって、めちゃくちゃいろんなところで生まれては消えたり急に更新止まったりしてると思うんですが、これは本当に考えなければいけないなと。
「記事」と「広告」の関係性であったり「ユーザー」と「発信者」であったり、二者の相対的な、もしくは絶対的な価値観の違いの中にはまだまだ私が理解しきれない関係性があるのだということも感じて、もっと勉強していかないとな、とも。そしてメディアやライティングの仕事をしていると自分の心も売りそうになってしまう瞬間があったりもするんだな、そんな危うさというか儚さみたいなものを少しだけ感じました。

「この人とは合わないや」とか「どちらかというと "発信者側" や、"広告的な発想を持つ側" の人間でいよう」という結論で、終わらせてしまうこともできると思うのですが、もうちょっと考えてみたいなとも思ったんです。

いろいろな記事作成・発信方法や、マネタイズのモデルによってあらゆるものが共存することってできないのかなとか。Webメディアだからこそ考えられることは、まだまだたくさんあるだろうなと思っています。

単純に「誰の方を向いているメディアか」ではなく、ユーザーも、ライターやインタビュアーも、インタビュイーも、メディアに関わる人々みんなが「どんなことを一緒に考えていきたいんだっけ」とか「どんな課題を解決したいんだっけ」ということを、共有しながらメディアができあがっていったらいいのかなあとか。(そういうコンセプトのメディアも既にあるとは思うんですが)

"個人ブログ" ではなく、みんなでつくる "メディア" だからこそ、できることがきっとあります。
いつか誰かと、新しいメディアのかたちを作れたらいいなあと、考えたりもしています。


Yuka Sato
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